事務局からのお知らせ
福島県立医科大学医学部 小児科学講座 細矢 光亮 先生 寄稿
「ほそくながく」
2011年3月の東日本大震災から6年が経ちました。これまで、全国のたくさんの方々より温かいご支援をいただきましたこと、心より感謝申し上げます。
太平洋沿岸部にある公立相馬病院は、地震、津波、原発事故で大きな被害を受けた相馬双葉地区にあり、この地区で唯一の小児入院施設を有する小児医療の砦です。常勤医3名が地域小児医療を担ってきましたが、震災後は原発事故による避難者の増加もあり、常勤医が疲弊しておりました。日本小児救急医学会を通じた公立相馬病院への休日診療支援は、常勤医の心身の負担を軽減するのに大いに役立ちました。
2013年10月から、日本小児救急医学会の支援募集医療機関に福島県中通り中部にある公立岩瀬病院を加えていただきました。公立岩瀬病院は地震被害により旧病院の使用が困難になりましたが、幸い竣工されたばかりの新病院に円滑に移転し、診療を継続することができました。震災前と同様に常時20-40名の入院患者がおり、これを僅か3名の常勤医が粉骨砕身し、これに日本小児救急医学会の支援をいただき、この難局を乗り切ってくれました。2017年4月には周産期医療を担う新病棟がオープンし、福島県中通りの小児科診療拠点の一つに成長しつつあります。
2015年8月から福島県南会津地方の県立南会津病院を9番目の支援施設に加えていただきました。超過疎地域ですが、他の医療圏からは遠く離れており、たった1人の小児科医がこの地域の小児医療を護ってくれています。休日の診療支援をいただき、常時拘束される状況から解放される時間を持てるようになりました。
一旦崩壊しかけた福島県の小児医療体制でしたが、日本小児救急医学会「東日本大震災小児医療復興新生事務局」を通じた様々なご支援をいただいたこともあり、順調に回復してきています。これからも、「ほそくながく」ご支援をお願いします。
2017年3 月11日
細矢 光亮
「明日へ」第4回 「医療従事者もまた、被災者である」
「明日へ」第3回
あの日より3日目、3月14日、大きな避難所を回り、
ごった返す避難民を目の当たりにした石木先生は、以下の4つを
大きな方針として打ち出します
1.地域に救護所を建てる
2.慢性疾患に対応できるように検査態勢を整える
3.緊急用の薬(抗凝固薬、降圧薬、ステロイド、喘息用薬剤)を確保する
4.調剤薬局を立ち上げる
救護所は、気仙町、竹駒・矢作地区、高田町、米崎町、小友町、広田町と選定
高田町→3/12午後より、日本赤十字社(高田第一中学校内)
米崎町→3/14より高田病院(米崎コミセン)
広田町→広田診療所(広田小学校)
気仙町→3/15より高田病院
竹駒・矢作地区→支援隊(公民館)
小友町→3/20ころより支援隊、近隣開業医
3月17日ころには、全国の支援チームが駆けつけ、各救護所に向かってくれたとのことです
写真は3月20日
「明日へ」第2回
東北大学大学院医学系研究科小児病態学分野 呉 繁夫 先生 寄稿
今日は2017年3月11日。14時46分に黙祷を行い、丁度6年前となった「あの日」のことを思い出しながら、この文章を書いています。現在、震災で大きな被害を受けた宮城県内の小児医療施設は、ほぼ震災以前の診療機能を取り戻しています。これも全国の方々からのご支援の賜と心より御礼申し上げます。そのなかで、石巻市夜間急患センター小児科には、現在も東日本大震災小児医療復興新生事務局を通じて、小児科医師の派遣を頂いています。震災6年経った現在も多くの先生方のご支援が続いていることは感謝に堪えません。また、この診療支援を支えて頂いている日本小児救急学会や宮城県庁医療整備課の方々に心より御礼申し上げます。昨年12月1日より、石巻市夜間急患センターは、重症例への対応等で石巻赤十字病院小児科との連携強化を目指し同院敷地内に移転しました。未だ小児科医師不足が続いている石巻市夜間急患センターを今後とも「ほそくながく」ご支援頂ければ幸甚に存じます。
平成29年3月11日
呉 繁夫