事務局からのお知らせ

特別寄稿 福島県立南会津病院 医長 小野 貴志 先生より

東日本大震災から10年の節目を迎えて

東日本大震災から10年の節目を迎え、これまで、南会津病院では全国の先生方から多くのご支援をいただきました。本当にありがとうございました。

震災後、福島県内の医師不足が進み、小児科に関わらず当院での常勤医の確保が難しい状況が続いております。そのような中、診療応援をいただけることは、常勤医の負担の軽減になるだけでなく、地域の現状を知っていただける貴重な機会になると思い、大変嬉しく思います。

南会津地域は、有数の豪雪地帯であり、面積は神奈川県に匹敵します。人口は、南会津郡(南会津町、下郷町、只見町、檜枝岐村)で、2万5千人程度であり、小児人口はその10%程度です。小児科の患者数は年々減少傾向ではありますが、郡内では唯一の小児科の入院施設になります。当院がなければ、遠方の方では2時間以上かけて市中病院を受診しなければなりません。また、痙攣重積や髄膜炎といった重症疾患も年間で数件あり、中継地として早期診断や病態を安定化させ総合病院へ繋げる役割も担っています。

本年度は、新型コロナウイルス感染症の影響で患者数はさらに減少しておりますが、当院に小児科医が常勤としていることは、住民にとっての安心に繋がり、今後も重要な役割が変わることはないと思います。

これからも、南会津の子供達のために、全国の先生方に温かいご支援を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。

福島県立南会津病院 医長 小野 貴志 先生

 

次回、南会津病院へのアクセス情報をお届け予定です

あれから10年 石巻市夜間急患センター 当時を振り返る その2

石巻夜間急患センター津波被害の画像につきまして

津波被害の恐ろしさをお伝えするために、続編で掲載します

今では石巻市立病院も、同センターもBuild back better 素晴らしい建物で診療を再開、

赤十字病院とともに地域医療を、子どもを守る砦となっていますが

当時、その手直しにどれだけの汗と涙が必要だったかは、体感された方以外は

語ることができないのでしょう(旧仮設センター記事は、こちら

最後の言葉

まあ、よかったな

震災前日。長男の岩手医大卒業式後の家族での食事でぽつりと、息子を誇りに思って話したのかなと、感じている(63歳 男性 → 妻)

おう

「行ってきます」と言った際に、朝ドラを一緒に見たあとだった(58歳 男性 → 妻)

きょうは頑張って

震災12日前の2月27日 結納に出発する直前に実家で、姉がかけてくれた言葉(34歳 姉 → 弟)

 

以上は、岩手日報 企画からの転載になります

趣旨に賛同し、同社に許可を得た上で、掲載させて頂きます

各リンクはこちら 岩手日報 「大切な人を想う日」

あれから10年 石巻市夜間急患センター 当時を振り返る

先日から始まりました特別寄稿特集では、

2021年3月まで定期的に寄稿文とともに、お寄せ頂いた当時を振り返る画像などを

掲載していく予定です

今回掲載します画像は、石巻市夜間急患センターです

同センターは当初、旧北上川沿いにありましたが

津波により、壊滅的な被害に遭いました(下記写真)

(旧住所は、こちら google ,ap)

浸水を免れた日和山周辺(浸水マップはこちら)を経て、現在は石巻赤十字病院敷地内へ開設されています

当時の貴重な写真が物語る津波の恐ろしさ、忘れてはいけません

 

3月11日「大切な人を想う日」に

以下は、岩手日報 企画からの転載になります

趣旨に賛同し、同社に許可を得た上で、掲載させて頂きます

各リンクはこちら 岩手日報 「大切な人を想う日」

賛意を示される際は、是非リンクの署名へ

 

3月11日を、すべての人が

「大切な人を想う日」に。

あなたの署名を

わたしたちにください。

 

3月11日。それはすべての人が

明日が来ることは当たり前ではない、

と知った日。

 

すべての人に関係する日にすることで

風化をふせぎたい。岩手日報は、

3月11日を「大切な人を想う日」に

できないか、と考えました。

 

あの日の悲しみと教訓を永遠に語り

継ぐために、この小さな運動に、

あなたの声をください。

岩手日報

 

以上転載終わり