事務局からのお知らせ

特別寄稿「震災後10年を迎えて思うこと」 公立相馬総合病院小児科 伊藤正樹

午後の外来中に突然の大きな揺れが発生しました。

その後は津波に原発事故と、立て続けに今まで経験したことのない事が起こり、その都度多くの方々のご支援、ご助言を頂き今日に至ります。

災害は続くもので、台風による水害で相馬市内全域が断水したこともありました。そして、現在のコロナの流行など、災害はいつやってくるか本当に分かりません。常に備えることが大切だと痛感しております。

 

当院は本事業を通じて全国各地から大勢の小児科の先生に支援を頂きました。

この十年で、地震、津波被害を受けた沿岸部はかなり整備され、復興に向けて確実に前へ進んでおります。

当時赤ちゃんだったお子さんも、今は小学校高学年。当科を受診するお子さんの多くが震災後に生まれた子供たちになってきました。

震災後も以前と変わらぬ小児科医療を提供しようと努めてまいりましたが、今日まで続けてこられたのも、多くの支援の先生方のお陰だと本当に感謝しております。

 

震災当時のことを知らない子ども達が増えてきましたが、ここ相双地域には依然として、放射能による居住困難区域が存在し、処理水の海洋放出の問題、そして燃料デブリの取り出しや廃炉に関することなど、多くの現在進行形の問題を抱えています。

元通りになることは難しいと思いますが、今の状況の中で、子供たちが健やかに暮らして行けるよう出来る限りの医療を提供していきたいと思っています。

これまでのご支援に深く感謝させて頂くとともに、今後も変わらぬご支援、ご助言を賜りますようよろしくお願い申し上げます。

公立相馬総合病院小児科 伊藤正樹

日本小児救急医学会 理事長 長村敏生先生より 特別寄稿

皆様 

明けましておめでとうございます

早速ではございますが、日本小児救急医学会を代表し、理事長であらせられる

長村敏生先生(京都第二赤十字病院 副院長 小児科部長)より

事務局に下記を寄稿いただきました

日本小児救急医学会におかれては

長きにわたり本事務局事業を物心両面で支えていただいております

ほんとうにありがとうございます そして、どうか引き続きよろしくお願いします

以下、長村先生寄稿文

 

 

東日本大震災復興・新生へ向けた小児医療支援事業が「ほそくながく」継続することの意義

 

 2011年3月11日の東日本大震災から10年を迎えようとしています。この震災は巨大津波と原発事故を伴う未曽有の複合災害であり、今もなお被災3県((岩手・宮城・福島)は小児科医の不足と地域偏在のため小児医療提供体制の維持が厳しい状況が続いています。

 日本小児救急医学会では2012年12月20日の東日本大震災小児医療復興新生事務局の設立、2013年5月2日のホームページ開設を支援するとともに、本学会災害医療委員会が中心となって小児医療支援(医師派遣)事業の調整を継続してきました。

 これまでの支援医師の総数は約250名に達し、現在もなお支援換算日数は年間で平均すると500日に及びます。支援医師の中には支援を定期的に継続する、あるいは被災地に定着する先生もおられ、その支援の輪は様々な形で展開されています。支援事業がこれだけ継続してこれた背景には、支援に赴いた医師自身が現地で改めて気付くこと、学ぶことがあったことも関係しているのではないかと思っています。

 本学会では新年からも復興新生事務局と連携しながら、被災地域の未来を担う子どもたちのために「ほそくながく」医療支援活動を続け、地域の小児医療体制の構築・再編に貢献していく所存です。「ほそくながく」の趣旨にご賛同の先生方のご支援を心よりお願いします。

 

2021年1月4日 一般社団法人 日本小児救急医学会 理事長 長村 敏生

 

 

2021年 新年明けましておめでとうございます

新年明けましておめでとうございます

コロナ禍に関わらず、昨年も多くの皆様にご支援をいただきました

各病院に代わりまして、厚く御礼申し上げます

 

今年で発災10年を迎えます東日本大震災 引き続き、

子どもたちが地域で安心して暮らし、成長できるよう、

地域に寄り添い、共に歩みを進めながら、子どもたちの未来の懸け橋となるべく

事務局一同、一所懸命励んでまいります

これからも「ほそくながく」皆様のご支援を賜りますよう、お願い申し上げます

なお、年末年始にいただきました支援の申出につきましては,

1月4日以降、 順次調整させていただきますのでご了承願います

今年もどうぞよろしくお願いいたします

東日本大震災小児医療復興新生事務局一同

2021年元旦

今年もありがとうございました. 年末年始支援受入の調整につきまして

今年も全国のみなさまからの変わらぬご支援をいただき、新型コロナウイルスの流行による影響も大きい中ではありますが、「こころをつむぐ、ほそくながく」本事業が継続できましたことにつきまして、事務局一同感謝申し上げます.

年末年始も多くのご支援をいただく予定となっており, 誠にありがとうございます.
新年明けましても、引き続きみなさまのご支援をよろしくお願いいたします

なお、誠に勝手ながら年内のご支援の受付は、調整期間を考慮し、12月28日(月)までとさせていただき、年末年始中に寄せられたご支援の申出につきましては、1月4日(月)以降、順次調整させていただきますので、なにとぞよろしくお願い申し上げます.

みなさまもどうぞよいお年をお迎えください.

事務局一同

特別寄稿 辻 祐一郎 先生(現 福島赤十字病院 小児科)

東日本大震災9年後の福島で勤務することになったのは

私が初めて被災地に足を踏み入れたのは、震災の翌年でした。場所は宮城県気仙沼市立本吉病院です。

ある朝のNHKテレビで「インフルエンザワクチンを被災者の人たちに打ちたくてもドクターがいない」との当時の本吉病院川島院長の報道を観たからです。“インフルエンザワクチン接種なら僕にもできる”と考え、その日に勤務先のせんぽ東京高輪病院(現JCHO東京高輪病院)の院長に派遣のお願いに行ったところ「気仙沼の船員保険組合療養所も大きな被害をうけた。お前で何か役立てることがあるのなら直ぐに行ってこい」との事で旅立ったのが始まりです。本吉病院では、小児科しかできない私にスタッフが優しく接して下さってかえって私が癒されました。何度も何度も沢山の方々から同じことを聞かれて話したであろう震災の当日の様子を面倒なそぶりも見せず話してくださいました。その後、陸前高田の高田病院、岩手県立大船渡病院でも短期勤務させていただきました。

これまで、小児科オンリーの診療をしてきた私にとって、成人の外傷や高血圧の老人の診察などをさせていただき本当に貴重な体験でした。

「東北に医療支援に行ってきます」と言って東京を出かけてきた私は、震災後の東北で診療を経験することによって勉強をさせていただき、そして癒していただいたのです。

実際は「東北に癒してもらいに行ってきます」でした。

本当に感謝・感謝・感謝です。

その後は、週末のみの勤務が可能な福島県公立相馬病院小児科に伺うことになりました。

この相馬病院小児科の伊藤部長との出会いが、私の人生をくるわせることになりました(笑)

相馬病院での勤務の際は、土曜日の昼に東京を出発して夕方に相馬に到着します。そこで先ずは病院が用意してくれる「ホテルふたばや」にチェックインします。この「ホテルふたばや」が重要です!どうしてかは、ご自身で体験して頂ければと思います。

初めて公立相馬病院に伺った際には、伊藤部長先生が震災時のお話や今の相馬の状況などをたくさんお話して下さいました。

公立相馬病院小児科の週末勤務に来られる先生方はほとんどがリピーターと伺っておりますが、私は「ホテルふたばや」と「伊藤部長(副院長)」の二つのファクタが原因であると確信しております。

その後、この不思議なご縁が数年間続きました。

そしてなんと伊藤先生のお口添えで、令和2年4月から福島赤十字病院小児科で勤務しています。福島県立医大小児科細矢教授のご高配を頂きとうとう常勤医になってしまいました!

まだまだ話したいことはたくさんありますが、長くなりましたので終わりにします。

(まとめ)

福島に来て思ったことは、「空がとても青い」事です。決して東京では見ることができません!

周りのスタッフに「福島の空は青くてとてもきれいだね!」と話しかけるのですが、返ってくる返事はいつも同じで「そうですか⤴いつもとかわんないですけどね⤵」と独特のイントネーションで返ってきます(笑)

もし、ご自身の勉強と癒しを求められているのでしたら、私からは「福島や東北に来て、どこまでもどこまでも青い空をご自身の目でみてみてください!そして癒されながらたくさんたくさん勉強してください!」とお伝えしたいです!

福島赤十字病院 小児科 辻 祐一郎

写真は2016年ご支援当時(事務局掲載)