事務局からのお知らせ

岩手県立久慈病院 ページの刷新につきまして

岩手県立久慈病院のページ刷新のお知らせです どしどしお問い合わせください!

刷新されたページは、こちら

 

久慈市は岩手県北東部に位置し、北上山地を背に太平洋に面しており、「北限の海女」や世界有数かつ国内最大の琥珀の採掘産地として知られています。また、2013年にNHKで放送されたドラマ「あまちゃん」のロケ地としても有名で、多くの観光客が訪れています。

 久慈病院は、救命救急センターを併設するとともに、地域包括ケア病棟を持つ地域完結型の基幹病院です。「地域の人々の命と健康を守り、信頼される病院を目指す」を病院の基本理念とし、久慈圏域(久慈市、洋野町、野田村、普代村)約55,000人の住民の医療を担っています。また、初期研修医の育成にも力を注いでいます。

 久慈病院小児科は、現在常勤医師2名体制で運用しており、岩手医大より専門外来の診療応援を得て外来体制を維持しています。また、感染症や熱性痙攣をはじめとした各種疾患の入院加療にも対応しています。自然豊かで夏涼しく、冬は雪の少ない久慈の地で、共に働いてくださる先生をお待ちしています。

小児科長:遠藤 正宏

希望・信念・勇気を携えて 

東日本大震災小児医療復興新生事務局は

希望・信念・勇気を携えて 地域医療の未来へと向かいます

こころをつぐみ ほそくながく

ちいきの こどもと 歩みをともにします

 

あのひ、あのときを、決して忘れないから

こころに刻まれた、あのひとを、いつまでも、いつまでも

思いかえすから

 

私たちは,地域医療の未来を思い描きます

2023年3月11日 事務局一同

 

あの日を忘れずに 今を生きる 岩手県立高田病院

今回の「あの日を忘れずに 今を生きる」は

岩手県立高田病院です

4階建ての4階天井まで来た津波は、すべてを奪い去りました

それでも懸命に医療を続けた病院です

凍える屋上で一晩患者とともに過ごし、

翌日防災ヘリ「ひめかみ」で救助された刹那に

診療を再開した医師たちがいます

私たちは、忘れてはいけません

「地域医療の矜持」がそこにあるのです

たとえほそくても、ながく地域を守るため

その責務を背負った

医師の、看護師の、事務職員の、医療に携わるすべての職種

の矜持が具現化されています

その他の記事は、こちらなどを参照ください(奇跡の一本松それでもなおあの日

その他の連載シリーズまとめはコチラ

 

あの日を忘れずに 今を生きる 石巻市夜間急患センター

第2回の「あの日を忘れずに 今を生きる」は

石巻市夜間急患センターです

今では、呉繁夫先生(当時 東北大学小児科教授、現宮城県立こども病院院長)、阿部淳一郎先生(石巻市小児科医会)らのご尽力により

(お二人の写真は、コチラ

石巻赤十字病院敷地内に隣接して再建された同センターですが

あの日までは、旧北上川沿いにあり、とても大きな被害を受けました

その後、日和山の仮設を経て

現在でも石巻の小児救急医療の最前線に立ち続けています

(当時の他写真はコチラ、日和山の仮設はコチラ

大学、赤十字、地元小児科医医会、そして全国の皆様の

地域医療への希望、そして信念と勇気がそれを支えてくれています

あの日を忘れずに 今を生きる 公立岩瀬病院

今年もあの日が、近づいて参りました

「あの日を忘れずに,皆とともに今を生きる」題して

過去の記事を抜粋し再掲させていただきます

 

まずは「公立岩瀬病院」(2020年11月18日掲載より)

翌日に新病棟への引っ越しを控えていた福島県須賀川市の公立岩瀬病院も、あの日大きな揺れに見舞われた。病院屋上の煙突が折れ、数トンに及ぶコンクリートの塊が検査室天井を直撃、また貯水槽の配管が破裂、貯水が滝のように中央階段に流れ込んだ。しかし、彼らは一丸となって100名を超える患者を余震のたびにボルトが抜けていく非常階段を使い、45分間で移送した。また停電の中、必死の思いでベッド搬送や医療資機材の手渡しリレーを行った。

それでもなお震災は彼らを苦しめた。東京電力福島第一原子力発電所の事故の全容が徐々に明らかになる中、病院上階よりみえる国道4号線は南に向かう車列で渋滞であった。那須塩原駅には、無数の車が乗り捨てられていた。一方で福島に向かう支援物資は皆無であった。「医療者」なのか「被災者」なのか苦悩が彼らを覆った。

東日本大震災継続支援ワーキング報告書の冒頭になります(本文はこちらこちら