みんなのコメント[全件]
3度目の東北訪問松村 成一(所属:ロンドン医療センター)
2024/11/29
[岩手県立大船渡病院]
今回、4泊5日と短期間でしたが、お世話になりました。
東日本震災直後に東京都救護班として気仙沼で活動し、また5年前に岩手県立胆沢病院で医療支援をさせていただきましたので、今回3度目の東北訪問となります。
普段海外で仕事をしており、日本を離れておりますが、震災のことを忘れたことはありません。
再び東北で医療支援をできることは、私にとってはとても喜ばしいことでした。
病院では、外来診療や乳幼児健診、ワクチン接種、また夜間の救外オンコール対応をさせていただきました。
先生方も看護師さん方も、とても丁寧に教えてくださり、業務にスムーズに慣れることができました。
業務とは別に、渕向先生より、震災時のお話をじっくり伺うことができ
当時想像を絶する困難があったこと、また今後の災害への解決策や教訓を学ぶことができました。
ネット情報やニュースだけでは知りえない、現地ならではの貴重な体験談を伺えたと思います。
震災後の復興に加えて、人手の足りない大変な環境の中で奮闘されている皆さまを見ると、地元愛と揺るぎない使命感を感じました。
都会の喧騒を離れ、美しい自然の中で、自分の専門性のまま仕事ができ
さらに、ご当地の美味しい料理も楽しむことができますので
被災地応援は、非常に有意義な体験として、全国の小児科の先生方にお勧めできます。
余談ですが、宿泊した院内官舎は、ワンルームタイプで、キッチン、洗濯機など何でも備わっており
その辺のホテルよりも居心地がよかったです!
今回は、貴重な機会をいただき、誠にありがとうございました。
東日本震災直後に東京都救護班として気仙沼で活動し、また5年前に岩手県立胆沢病院で医療支援をさせていただきましたので、今回3度目の東北訪問となります。
普段海外で仕事をしており、日本を離れておりますが、震災のことを忘れたことはありません。
再び東北で医療支援をできることは、私にとってはとても喜ばしいことでした。
病院では、外来診療や乳幼児健診、ワクチン接種、また夜間の救外オンコール対応をさせていただきました。
先生方も看護師さん方も、とても丁寧に教えてくださり、業務にスムーズに慣れることができました。
業務とは別に、渕向先生より、震災時のお話をじっくり伺うことができ
当時想像を絶する困難があったこと、また今後の災害への解決策や教訓を学ぶことができました。
ネット情報やニュースだけでは知りえない、現地ならではの貴重な体験談を伺えたと思います。
震災後の復興に加えて、人手の足りない大変な環境の中で奮闘されている皆さまを見ると、地元愛と揺るぎない使命感を感じました。
都会の喧騒を離れ、美しい自然の中で、自分の専門性のまま仕事ができ
さらに、ご当地の美味しい料理も楽しむことができますので
被災地応援は、非常に有意義な体験として、全国の小児科の先生方にお勧めできます。
余談ですが、宿泊した院内官舎は、ワンルームタイプで、キッチン、洗濯機など何でも備わっており
その辺のホテルよりも居心地がよかったです!
今回は、貴重な機会をいただき、誠にありがとうございました。

福原先生、ご支援ありがとうございました.伊藤 正樹(所属:公立相馬総合病院)
2024/11/25
[公立相馬総合病院]
福原先生、先日はご支援誠にありがとうございました.
スタッフ一同、感謝申し上げます.
札幌に戻られてからも早々に夜勤をされておりますとのこと、
寒さが増していく日々ですので、どうぞご自愛ください.
スタッフ一同、感謝申し上げます.
札幌に戻られてからも早々に夜勤をされておりますとのこと、
寒さが増していく日々ですので、どうぞご自愛ください.

「こころをつむぐ、ほそくながく」を大切な一言と心に刻んでいます.福原正和(所属:札幌市医師会夜間急病センター)
2024/11/25
[公立相馬総合病院]
この度は伊藤先生の丁寧なご説明と看護師さんのサポートがあり気持ちよく働くことが出来ました.
小児科学会誌で年に数回東日本大震災支援プロジェクトのチラシが入っており気になっていましたので今回伺う事に致しました.
チラシにある「こころをつむぐ、ほそくながく」を大切な一言と心に刻んでいます.
「支援」と言うには私にとってちょっと後ろめたい動機もあります.
実は娘家族(孫3人)が福島県内(中通り)におり、働く娘からは「お父さん、用事も無いのに来ないでよね、食事の用意など大変なんだから. お母さんと一緒ならいいけど・・・」と言われており、孫の顔を見たい「じじ」としては「用事」を探しておりました.
「支援」として、石巻の夜間急患センターには何回か行っておりましたが、福島にも行くべきと今回相馬病院に初めて伺う事に致しました. 電子カルテが上手く出来るかやや不安もありましたが、伊藤先生のサポートもありどうにかトラブルなく外来をこなすことが出来ました. 15名の外来患者さん、1名アデノ感染で熱が続き食欲ない患者さんの入院を伊藤先生に受けて頂きました.
過疎地で地域医療を支える皆さんのご健闘に敬意を表します.
私は今年後期(高貴)高齢者になりましたが、体が続く限りまた機会がありましたら伺いたいと思います. その時はよろしくお願いいたします.
札幌市医師会夜間急病センター
福原正和 (本日は準夜勤務です)
小児科学会誌で年に数回東日本大震災支援プロジェクトのチラシが入っており気になっていましたので今回伺う事に致しました.
チラシにある「こころをつむぐ、ほそくながく」を大切な一言と心に刻んでいます.
「支援」と言うには私にとってちょっと後ろめたい動機もあります.
実は娘家族(孫3人)が福島県内(中通り)におり、働く娘からは「お父さん、用事も無いのに来ないでよね、食事の用意など大変なんだから. お母さんと一緒ならいいけど・・・」と言われており、孫の顔を見たい「じじ」としては「用事」を探しておりました.
「支援」として、石巻の夜間急患センターには何回か行っておりましたが、福島にも行くべきと今回相馬病院に初めて伺う事に致しました. 電子カルテが上手く出来るかやや不安もありましたが、伊藤先生のサポートもありどうにかトラブルなく外来をこなすことが出来ました. 15名の外来患者さん、1名アデノ感染で熱が続き食欲ない患者さんの入院を伊藤先生に受けて頂きました.
過疎地で地域医療を支える皆さんのご健闘に敬意を表します.
私は今年後期(高貴)高齢者になりましたが、体が続く限りまた機会がありましたら伺いたいと思います. その時はよろしくお願いいたします.
札幌市医師会夜間急病センター
福原正和 (本日は準夜勤務です)

下村先生、ご支援ありがとうございました。伊藤 正樹(所属:公立相馬総合病院)
2024/10/24
[]
下村先生
この度は複数回にわたりご支援をたまわり、ありがとうございました。
天気は大丈夫なようですが、どうぞお気をつけてお帰り下さい。
また機会がございましたら、相馬へ足をお運び頂けると幸甚に存じます。
今後ともよろしくお願いいたします。
伊藤正樹
この度は複数回にわたりご支援をたまわり、ありがとうございました。
天気は大丈夫なようですが、どうぞお気をつけてお帰り下さい。
また機会がございましたら、相馬へ足をお運び頂けると幸甚に存じます。
今後ともよろしくお願いいたします。
伊藤正樹

公立相馬総合病院の小児科診療支援に来て下村国寿(所属:しもむら小児科医院)
2024/10/24
[]
東日本大震災により生じた震災地域での医療支援をするための小児医師募集案内が日本小児科学会雑誌に同封されているのを以前から見てきた。
応援に行きたいなと思っていたが自らの小児科クリニックの診療が忙しくて実現は難しかったが2019年に小児科クリニックの院長を長男に譲り、2024年3月には小児科医会や医師会の仕事にもひと段落着くことになったことでやっと行くことができるようになった。小児科医療支援にも外来診療+入院診療を毎日やるもの、外来診療を週に5回やるもの、休日のみ外来診療をやるもの等があるのだが、74歳の身にしては“休日のみの外来診療”が適当であろうと考えた。また、福岡市に在住しているので1回だけで帰ってしまうのももったいないので4週間くらい働くことにしよう。今でも夏山に登っているので、時期としては夏山シーズンが終わった9月下旬~10月中旬の4週間(診療日は6日間)にすることにしよう。このように考えながら、妻にも一緒に行ってもらおうと相談すると「いいよ」とのことだったので、2023年末に該当施設の公立相馬総合病院に連絡し2024年3月に「決定しました」との返事をもらった。
日曜日と祝日だけ勤務して残りの日はどうように過ごそう?そこは、元々山が好きなので日本百名山の岩手山、鳥海山、月山や世界自然遺産の白神山などに登ることにしようと考えていた。ところが2024年5月に通常のジョギングをしているとき急に右膝に痛みが出て翌日は歩けなくなってしまった。少しずつ良くなりビッコを引きながらでも歩けるようになっていたので2週間ほど様子を見ていたが、改善が遅いので整形外科を受診しMRIを撮ってもらうと右膝の半月板を断裂と診断された。そのため、膝に負担がかかる山登りはしばらくできなくなってしまった。それでも8月中旬からは普通に歩くことには支障がなくなってきた。3年前から松尾芭蕉の“奥の細道”の「平泉~一関市~尿前の関(しとまえのせき)~山伐峠(なたぎりとうげ)~尾花沢~最上川(川下り)~出羽三山~酒田~象潟」を歩いていたので、今回は平泉までの“奥の細道”を歩くことにしようと考えた。天候上の都合もあったが、最終的には“日光街道杉並木~一関市”までを歩くことができた。しかし、妻は初日からアキレス腱を痛めて長距離は歩けなくなり、私も足にマメがいくつもできてしまったので最後は車にも乗りながらビッコを引きながらの旅になってしまった。
最も大事な診療についての話が最後になってしまったが、公立相馬総合病院の副院長・小児科科長の伊藤正樹先生の丁寧で温かいご指導により本当に順調に進めることができた。初日の患者数は18人であった。発熱の児が多く、手足口病などのエンテロウイルス感染症が流行しているようだった。慣れない電子カルテではあったがわからないところは看護師さんにも教えてもらいながらどうにか大きな間違いもせずに終わることができた。2日目も18人くらいで、無菌性髄膜炎と熱が続いて脱水になっている児(突発性発疹だった)が入院になったが病棟担当に鈴木先生に適切に処理していただいた。その後の4日間は患者数が10人以内で、入院するような重症の患者もいなくてゆっくりと診療することができた。
診療前日のホテルは病院が手配してくれて無料だった。ただ、妻の分は当然のことながら有料で、それ以外の滞在中4週間のホテル代や食費もかさみ少し散財することになったが、なかなか福岡からは来られない東北地方をゆっくりと巡ることができ、気分的にも「少しは医療支援ができたかな」という高揚感が残り、体力的に余力があれば「また来てみたいな」という気持ちである。
応援に行きたいなと思っていたが自らの小児科クリニックの診療が忙しくて実現は難しかったが2019年に小児科クリニックの院長を長男に譲り、2024年3月には小児科医会や医師会の仕事にもひと段落着くことになったことでやっと行くことができるようになった。小児科医療支援にも外来診療+入院診療を毎日やるもの、外来診療を週に5回やるもの、休日のみ外来診療をやるもの等があるのだが、74歳の身にしては“休日のみの外来診療”が適当であろうと考えた。また、福岡市に在住しているので1回だけで帰ってしまうのももったいないので4週間くらい働くことにしよう。今でも夏山に登っているので、時期としては夏山シーズンが終わった9月下旬~10月中旬の4週間(診療日は6日間)にすることにしよう。このように考えながら、妻にも一緒に行ってもらおうと相談すると「いいよ」とのことだったので、2023年末に該当施設の公立相馬総合病院に連絡し2024年3月に「決定しました」との返事をもらった。
日曜日と祝日だけ勤務して残りの日はどうように過ごそう?そこは、元々山が好きなので日本百名山の岩手山、鳥海山、月山や世界自然遺産の白神山などに登ることにしようと考えていた。ところが2024年5月に通常のジョギングをしているとき急に右膝に痛みが出て翌日は歩けなくなってしまった。少しずつ良くなりビッコを引きながらでも歩けるようになっていたので2週間ほど様子を見ていたが、改善が遅いので整形外科を受診しMRIを撮ってもらうと右膝の半月板を断裂と診断された。そのため、膝に負担がかかる山登りはしばらくできなくなってしまった。それでも8月中旬からは普通に歩くことには支障がなくなってきた。3年前から松尾芭蕉の“奥の細道”の「平泉~一関市~尿前の関(しとまえのせき)~山伐峠(なたぎりとうげ)~尾花沢~最上川(川下り)~出羽三山~酒田~象潟」を歩いていたので、今回は平泉までの“奥の細道”を歩くことにしようと考えた。天候上の都合もあったが、最終的には“日光街道杉並木~一関市”までを歩くことができた。しかし、妻は初日からアキレス腱を痛めて長距離は歩けなくなり、私も足にマメがいくつもできてしまったので最後は車にも乗りながらビッコを引きながらの旅になってしまった。
最も大事な診療についての話が最後になってしまったが、公立相馬総合病院の副院長・小児科科長の伊藤正樹先生の丁寧で温かいご指導により本当に順調に進めることができた。初日の患者数は18人であった。発熱の児が多く、手足口病などのエンテロウイルス感染症が流行しているようだった。慣れない電子カルテではあったがわからないところは看護師さんにも教えてもらいながらどうにか大きな間違いもせずに終わることができた。2日目も18人くらいで、無菌性髄膜炎と熱が続いて脱水になっている児(突発性発疹だった)が入院になったが病棟担当に鈴木先生に適切に処理していただいた。その後の4日間は患者数が10人以内で、入院するような重症の患者もいなくてゆっくりと診療することができた。
診療前日のホテルは病院が手配してくれて無料だった。ただ、妻の分は当然のことながら有料で、それ以外の滞在中4週間のホテル代や食費もかさみ少し散財することになったが、なかなか福岡からは来られない東北地方をゆっくりと巡ることができ、気分的にも「少しは医療支援ができたかな」という高揚感が残り、体力的に余力があれば「また来てみたいな」という気持ちである。
