事務局からのお知らせ

阪神・淡路と東日本大震災

軽井沢病院 小児科・伊奈中央病院救命救急センター 隅先生より

阪神・淡路大震災と関連してコメントを頂きました。

貴重な経験を通じてのコメントを、本HPにて皆様方と共有させて頂きます。

また隅先生におかれては、本HP開設の5月より毎月支援を頂いております

石巻夜間急患センターでのコメント

これまで本当にありがとうございます。

そして、今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

事務局一同

以下、隅先生からのコメント(写真は、石巻夜間急患センターの看護師さんと隅先生)

仙台駅からミヤコーバスに揺られ、三陸自動車道を北上すること1時間余り。右手前方遠くに、林立する幾条かの煤煙が眼に入って来ます。そう、日本製紙石巻工場の煙突群です。当初訪れた葉桜の季節、ずい分遠くに来たもんだ、と感じたのも今や昔。何時の頃からか、「あ~、今月も無事に帰って来れたなぁ・・・。」かように感じる様になりました。

平成7年1月17日午前5時46分、阪神地域と淡路島を大地震が襲いました。私の大阪市の実家は幸い壁にひび割れが入った程度で済みましたが、この震災で多くの友人が被災し、また、多くの想い出深き場所が消失しました。あれから早や20年近くの歳月が過ぎ様としていますが、街並みの整備とは裏腹に、未だ多くの住民の心の中にぬぐい切れない震災の傷跡が染みついています。だからと言う訳ではありませんが、東日本大震災による地域住民の惨状とご苦労は他人事のように感じることが出来ません。

毎月、勤務明けの日曜日は石巻駅前でレンタカーをお借りし、夕方まで、石巻~女川~雄勝~大川~南三陸方面をウロウロしておりますが、沿岸部の国道は未だ片側通行の箇所もあり、復興予算が九州の林道整備などに横流しされていると言われる状況下、何なんだかなぁ、と思うことしばしばです。春先と比較すれば明らかに瓦礫の処理や被災建物の取り壊し等は進んでいるものの、毎月々々、仮設住宅の現状を見るにつけては、真の復興はまだまだ遠いと感じざるを得ません。見た目上の社会インフラの整備だけでなく、人々が平穏な日常の生活を取り戻すことが出来てこそ初めて、真の復興だと言えるのだと思いますが、その為には医療の再建・整備が必要かつ不可欠であることは論を待ちません。

私個人が何か特別なことが出来るとは毛頭考えておりませんが、そこに小児医療が存在する、そこに確かに小児科医がいる、ということこそが最も大切なことではないかと考え、毎月足しげく通わせて頂いておる次第です。「震災ブーム」で終わらせることなく、真の復興と言う長き道に今後も地道に微力を尽くせればと思っておりますが、将来的にはもう少し腰を落ち着け、永続的に被災地での医療活動を行えればとも考えております。今後とも、どうぞ宜しくお願い申し上げます。長文、失礼いたしました・・・。

 

DSCF2080(隅先生:H25.12.21)