事務局からのお知らせ

あの日を忘れずに 今を生きる 岩手県立高田病院

今回の「あの日を忘れずに 今を生きる」は

岩手県立高田病院です

4階建ての4階天井まで来た津波は、すべてを奪い去りました

それでも懸命に医療を続けた病院です

凍える屋上で一晩患者とともに過ごし、

翌日防災ヘリ「ひめかみ」で救助された刹那に

診療を再開した医師たちがいます

私たちは、忘れてはいけません

「地域医療の矜持」がそこにあるのです

たとえほそくても、ながく地域を守るため

その責務を背負った

医師の、看護師の、事務職員の、医療に携わるすべての職種

の矜持が具現化されています

その他の記事は、こちらなどを参照ください(奇跡の一本松それでもなおあの日

その他の連載シリーズまとめはコチラ

 

あの日を忘れずに 今を生きる 石巻市夜間急患センター

第2回の「あの日を忘れずに 今を生きる」は

石巻市夜間急患センターです

今では、呉繁夫先生(当時 東北大学小児科教授、現宮城県立こども病院院長)、阿部淳一郎先生(石巻市小児科医会)らのご尽力により

(お二人の写真は、コチラ

石巻赤十字病院敷地内に隣接して再建された同センターですが

あの日までは、旧北上川沿いにあり、とても大きな被害を受けました

その後、日和山の仮設を経て

現在でも石巻の小児救急医療の最前線に立ち続けています

(当時の他写真はコチラ、日和山の仮設はコチラ

大学、赤十字、地元小児科医医会、そして全国の皆様の

地域医療への希望、そして信念と勇気がそれを支えてくれています

あの日を忘れずに 今を生きる 公立岩瀬病院

今年もあの日が、近づいて参りました

「あの日を忘れずに,皆とともに今を生きる」題して

過去の記事を抜粋し再掲させていただきます

 

まずは「公立岩瀬病院」(2020年11月18日掲載より)

翌日に新病棟への引っ越しを控えていた福島県須賀川市の公立岩瀬病院も、あの日大きな揺れに見舞われた。病院屋上の煙突が折れ、数トンに及ぶコンクリートの塊が検査室天井を直撃、また貯水槽の配管が破裂、貯水が滝のように中央階段に流れ込んだ。しかし、彼らは一丸となって100名を超える患者を余震のたびにボルトが抜けていく非常階段を使い、45分間で移送した。また停電の中、必死の思いでベッド搬送や医療資機材の手渡しリレーを行った。

それでもなお震災は彼らを苦しめた。東京電力福島第一原子力発電所の事故の全容が徐々に明らかになる中、病院上階よりみえる国道4号線は南に向かう車列で渋滞であった。那須塩原駅には、無数の車が乗り捨てられていた。一方で福島に向かう支援物資は皆無であった。「医療者」なのか「被災者」なのか苦悩が彼らを覆った。

東日本大震災継続支援ワーキング報告書の冒頭になります(本文はこちらこちら

 

東北行脚シリーズ フィナーレ 石巻市夜間急患センター

東北行脚シリーズのフィナーレを飾るのは

石巻市夜間急患センターです

写真は、

向かって左より同センター 事務長補佐 大庭 浩治 様、事務長 岩渕 隆史 様

所長 佐藤 仁人 先生

宮城県担当 鈴木 大翔、髙橋 直之、小児救急医学会 齊藤 修 先生となります

募集形態や、院内処方化など突っ込んだ話し合いが行われ、

最終的に、県・大学・そして同センター、もちろん地元小児科医医会の先生、

皆様のコンセンサス形成の上、

引き続きほそくながく、本事業に参画いただくことが決まりました!

是非、皆様のご支援をよろしくお願いします

事務局一同

冬の一コマ 宮城 旬のもの

まだまだ寒い日が続きますね。寒い日は鍋に限ります。
鍋といえば,今,宮城の旬を味わえる「せり鍋」がおすすめです。
実は,宮城県は「せり」の生産量が日本一!
清冽な湧き水で栽培された新鮮なせりは,

葉や茎だけでなく根っこまで食べられ,今やシャキッと鍋の主役を張る存在に。
美味しい米と水で仕込まれた宮城の日本酒との相性は抜群!
ぜひ,五感で旬を感じ,地域のこどもたちに会いに,宮城に足をお運びください。