事務局からのお知らせ

仮設から立ち上がる岩手県立高田病院

特別寄稿特集 「高田」編の締めくくりは、仮設病院時代の大木智春先生(写真向かって左)と

ケアリングクラインに囲まれた同先生@新病院です

津波、復興、新生、高田の子どもたちを守り、育み、ともに歩まれてきた

大木智春先生を尊敬します!

 

奇跡の一本松

奇跡を信じ、その実現を願い、心底踏ん張った魂が、ここにあります

ほそくても、ながく、その歩みを!(奇跡に一本松 詳細はこちら

 

それでもなお

高田病院は、それでもなお、立ち上がり

地域との歩みを止めませんでした!

写真は米崎コミュニティセンターで診療再開のためミーティングをしているDMATと高田の皆様です

あの日

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上記の表は、甚大な被害を被った岩手県沿岸部 3県立病院の被災状況になります

あらためて10年目に思いを巡らすと、津波の恐ろしさ、そして今に至る生き様を

振り返ることとなります

 

あの時

10年を迎えるに当たり、当時を振り返ります

下記は、「日本小児救急医学会・東日本大震災支援特別委員会最終報告 岩手県活動報告」からの一節です

 

「6歳と4歳の姉妹です.主訴は2人とも鼻汁 咳 嗽などで普通に風邪薬を持って帰っていただいた のですが,薬待ちの間,母親から相談をうけまし た.内容は姉の妹に対する暴力がひどいというこ と.妹の頭をかなり強く踏み付けたりするそうで 慌てて親が制止するそうです.また暴力以外には 朝と夕方に表で大声をあげながら走り回ったりす るとのことでした.その姉は被災時,高台の上か ら屋根の上に人間が乗ったまま流されていくのを 見ていたそうです.母親は,姉がそういったことを目撃してしまったことが原因で,

『ヒトはここまでやると傷ついてしまうという 箍(たが)というか,基準が壊れてしまったよう なんです』

と表現していました.現在,心のケアにつな がっております.母親は診療室で相談できたこと でかなり気分が楽になったと,帰って行きました.」

 

報告書にあるお子様は、いま、元気なのでしょうか?こころの底にあるものを引き出すのではなく、わき上がってくるものを受け止める環境が必要なのでしょうね

報告書のリンクは、こちら