みんなのコメント[2014年3月]

自然の力、人間の力竹内 芙実(所属:国立精神・神経医療研究センター)

2014/03/31 [岩手県立大船渡病院]
初めて大船渡と陸前高田を訪れました。
十数メートルの津波と化したことが想像できないほど、穏やかで美しい海が見えました。けれども、海沿いには埋立地の工事現場のような広大な更地が広がり、わずかに残る建物には凄まじい天災の爪痕が刻まれていました。
震災当時、生死の境目を目の当たりにし、人々が経験した恐怖や悲しみの大きさは計り知れません。
自然の猛威を前に人間はちっぽけな存在であることを、改めて感じました。
けれども、震災から3年、支え合いながら大変な状況を乗り越え、前を向いて暮らしておられる人々の姿に、人間の持つ強さとしなやかさを見ました。
自然と共に、人々が安心して笑顔で暮らせる町への再生が一歩ずつ進むことを、心から祈っています。
短い滞在でしたが、暖かく迎え入れて下さった大船渡病院と高田病院の先生方ならびに職員の方々に、深く感謝申し上げます。
また少しでもお手伝いできればと思います。

「ほそく、でも、ながい」お手伝い上田 一仁(所属:名古屋大学小児科(前 公立陶生病院))

2014/03/14 [岩手県立大船渡病院]
2013年8月、東日本大震災小児医療復興新生事務局のお力を得て、私は初めて震災後の岩手県を訪れさせて頂きました。
2011年3月当時、初期研修医であった自分は、「何かしたい」と思いながらも、勤務先の病院が派遣した医療チームを応援することしか出来ませんでした。その後、小児医療に携わる中、この事業のことを知り、夏季休暇を利用して応募させて頂きました。
 震災前後を通じて岩手県を訪れたのは初めてでしたが、そこで目にしたものは私の想像を遥かに超えていました。震災と津波の未だ消えない傷跡、あの日のことを無言で伝える震災遺構、未だ十分とは言えない復興状況… そこには、岩手山をはじめとする美しい自然とはあまりにも裏腹な現実が横たわっているように思いました。
しかしその一方で、大船渡、陸前高田、遠野の各病院で懸命に働かれている先生方の姿に接し、深い感動を覚えました。また、2011年のあの時、全国から集った医師が時間を共にした小屋の壁には、熱いメッセージがびっしりと書かれていました。同時に診療の合間には病院のスタッフの方々からも手厚いお心づかいを頂き、岩手の方々の温かさをしみじみと感じました。
こうした光景は、愛知に帰った今も忘れることが出来ません。そんな自分に少なくとも今できることは伝えることだと思い、訪問時の写真を時折見せながら、この事業のことを周囲に紹介したりしています。
季節柄患者数も少なく、また1日体調を崩してしまったこともあり、今回自分が「支援させて頂いた」などとは決して申し上げられません。むしろこれからも、自分にできる「ほそく、でも、ながい」お手伝いの機会を伺っていこうと思います。私の心に、色々なものを頂いた本事業に、改めて感謝申し上げます、ありがとうございました。

身をもって片山 威(所属:津山中央病院 小児科)

2014/03/10 [岩手県立高田病院]
3月3日から7日まで岩手県立高田病院小児科でお世話になりました。
昨年3月にも1週間お世話になりました。1年経って市街地痕の建物の撤去が進み、お話を伺うと町の青写真が出来つつある状態まで進んできているようです。ただ、沿岸部の再興が目で見えるまではまだまだ時間が必要な印象です。
1年に1回の訪問でも街の変化はごくわずか。改めて息の長い支援が必要だと感じました。
また、来年も陸前高田の変化を身をもって感じてみたいと思っています。

大変、助かっています小田 慎一(所属:公立岩瀬病院)

2014/03/04 [公立岩瀬病院]
1月より約3カ月、久保達也先生に
支援頂いております。
外来・病棟ともに大変助かっております。
特に至急の対応が必要な時に、
これまでは2人で何とかやりくりしており
お互い疲れてしまうことを繰り返しておりましたが、
人数が1人増えるということだけでずいぶん
気持ちに余裕ができることを実感しております。

残念ながら3月一杯で支援は終了となって
しまいますが、診療だけでなく、
治療法についても新しい知識を共有でき、
これも支援がなければ分からなかったことですので
大変有り難かったです。

初めての長期支援を頂き、感じたことを
御報告させていただきました。
本当は写真をお送りしたかったのですが
久保先生は写真があまり好きではないとのことで
割愛させていただきました(事務局 注 写真は小田先生)